会長挨拶
会長挨拶
投映法の未来について
日本ロールシャッハ学会の公式サイトをご覧くださり,ありがとうございます。第10期会長としてご挨拶を申し上げます。
2024年は,ヘルマン・ロールシャッハによって創造されたインクブロットが出版されて103年目にあたります。また「投映法」という言葉が世に定着するきっかけとなったローレンス・フランクの論文が公刊されてから85年です。この年月が物語るとおり,ロールシャッハ法をはじめ,各種投映法には長い歴史があります。往時に比べ使用頻度が減少しているとはいえ,それらは現在も国内外の臨床場面で幅広く活用されています。 さて,投映法はこれからも使われ続けるのでしょうか? それとも徐々に衰退していくのでしょうか? いま改めて歴史を振り返り,この問いに向き合ってみたいと思います。それは,投映法の未来を考えるうえで大切なことです。
ヘルマン・ロールシャッハの創案した方法は,インクのシミに「何を見たか?」を問うのではなく,「どう見たか?」と問う点で画期的でした。その見方にこそ,個人がふだん取りがちな方略が現れ,ひいてはそこに個性を見ることができるからです。この新たな方法は,実践を重ねるなかで大きな成果を上げましたが,ロールシャッハは常に慎重で謙虚な姿勢を持ち続けたようです。たとえば,彼の代表的な著書『精神診断学』が公刊された後も,彼はそれに満足することなく,必要があればその方法にどんどん改良を加えていったという事実はよく知られています。若い頃から「人を知りたい」という切実な思いを抱き続けてきたロールシャッハにとって,たとえ苦労の末にようやく公刊できた方法であっても,それは発展途上のものにすぎなかったのかもしれません。その意味で,彼とその方法は常に前進を続けていたといえるでしょう。
ロールシャッハの死から17年後に発表されたローレンス・フランクの論文「パーソナリティ研究のための投映法」(1939)では,斬新な論が展開されます。フランクによれば,生活を送るなかで人はさまざまな状況に直面しますが,そこに必要な形(configuration)を与えるため,いかなる状況に接しても人は決まりきったように一定の判を押しつける,といいます。そのふるまいを彼は「パーソナリティの営み」と表現しました。視点を変えると,あいまいな状況下(非構造的な刺激下)で人々が知らず知らずのうちに行っている判の押しつけ方を調べるならば,個人のパーソナリティの探索が可能になります。フランクはその手続きに「投映法」という名称を与えました。当時,この論文は相当にセンセーショナルだったようで,「投映法」の概念と言葉はまたたく間に臨床心理学の領域に浸透していき,ロールシャッハ法はその代表格に位置づけられるようになりました。
言うまでもなく,非構造的な刺激に直面したときに人々が示すふるまいは実に多様です。つまり反応の自由度が高いのです。そのため,反応を定量的に処理するにはさまざまな困難が伴います。この点はやがて「科学」の立場から数々の批判を招くことになります。さて,批判を受けた側はそのときどのように対応したのでしょうか? むろん,投映法のすべての専門家というわけではありませんが,ロールシャッハ法の一部の研究者・実践者は,その批判をしっかりと受け止め,真摯に応えていくことを選択しました。そして,その選択が,投映法の世界に確固たる科学的基盤をもたらすことになりました。
フランクの論文にはもう一つ重要なことが書かれていました。それは,投映法が対象者の「語りえないこと,あるいは語ろうとしないこと」(Frank, 1939, p. 395; p. 404; p. 408)を引き出す可能性があると指摘された点です。かつてこの記述は,投映法はX線のごとく対象者の無意識を露わにする,と解釈される向きがありました。しかし,いま読み返してみると,この記述が表しているものは,「無意識」に限定されていないことに気づかされます。現代的な視点からいうならば,むしろ,その記述には「ナラティブ」という広い意味が含まれていると読み取れるのです。
投映法がナラティブを引き出すならば,それは,対象者が生きている世界に検査者を引き寄せます。またそれについて2人で語り合い,分かち合うならば,対象者は真に「人から理解された」という体験を得ることになります。それは対象者に力を与え,新たなナラティブを生み出す土壌を形成します。これは,言うなれば投映法の治療的な活用法です。もちろん,心理療法の中で投映法を用いるという試みはかねてよりありました。しかし,近年はナラティブの概念が臨床心理学領域に広く浸透したことに伴い,投映法のプロセスそのものを治療的に活用する機会はますます増え,実際に効果を上げているのです。
たいへん雑駁ながら,ロールシャッハ法をはじめとする投映法の歴史をごく手短に振り返ってみました。「人を知りたい」や「人から理解されたい」という人間の根源的な欲求はいつの時代にもあるものです。投映法の実践者,研究者はこの根源的な欲求を前に謙虚であるべきです。それゆえ,私たちは自らのやり方を常に見直し,人を知るための技術をより高めていかねばなりません。また,時代の変化とともに技術は進歩し,ものの見方も変化します。当然,従来のやり方は批判を招くこともあります。その際,正当な批判であるならば,それをしっかりと受け止め,柔軟に変化していくことが大切です。新しいものに開かれているという姿勢こそが投映法を存続させ,発展させるのだと思います。この姿勢を失ったとき,いかなる技術や知識もいずれ力を失っていくのだということを,私たちはしっかりと心に留めておきたいと思います。
第10期会長 高瀬由嗣
過去の会長挨拶
心理臨床実践に活きる心理アセスメントのさらなる発展をめざして
日本ロールシャッハ学会のホームページに訪問いただきましてありがとうございます。小川俊樹先生を継いだ第9期会長としてご挨拶申し上げます。
何卒よろしくお願い申し上げます。
2020年4月7日、およそ2年前に我が国の新型コロナウィルスCOVID-19感染拡大の緊迫から、初の緊急事態宣言が発令となりました。私たちにとって、未体験の闘いが始まったのです。2020年度予定された心理臨床関係の学会大会や研修会は、通常の開催が難しく、オンライン開催や延期、休止を余儀なくされました。私たちの臨床実践や大学ならびに大学院での心理検査演習、実習にも大きな影響を及ぼしたのです。
しかし、新しい時代の中で、心の健康とは何か、適応とは何かを考える機会が多くなってきているのも事実です。また、心理臨床実践において当たり前でありました対面等での面接や心理検査が困難となる壁が生じ、倫理問題を重視しながら、いかにして対応可能か工夫を重ねた一年でもありました。このコロナ禍が経済や教育に与える影響は計り知れず、身体はもとより心の健康不安を訴えるクライエント-患者様が増加傾向にあります。
かねてより、心理臨床実践現場において広義の心理療法・心理面接が重視される傾向にあり、心理アセスメントは、その教育、訓練においても二の次になりやすいと言われてきました。しかし、心理アセスメントは、いかなるアプローチに基づく心理療法に対しても、重要な見立てを提示するものです。見立ては、心理的支援の方向性を見極め、目的地を定める羅針盤でもあります。ロールシャッハ法は、心理アセスメントの際の心理検査において支柱となるものです。当該技法を習熟し、テストバッテリーの組み方、導入、そして現場のニーズに応じたフィードバックを提供するのみならず、それらを継続的に学ぶことが常に求められます。
私自身大会長を務めさせて頂きました本学会第23回大会では、「世代と領域が織りなす心理アセスメント」をテーマとして掲げました。日々刻々と大きく変化し続ける現代、心理臨床実践活動において、どの世代に対してどのような問題理解が必要であるのか、世代間のかかわりも含めて対人関係の在りようはどのようなものかを把握していくことが重要です。同時にその活動は、教育、医療、福祉、司法矯正、産業など幅広い領域において求められます。そこで活用される心理アセスメントも、時代のニーズに応え発展し続けていくべきでしょう。従いまして本学会での学術的研鑽と発信は、これらの実践活動をさらに発展させていく使命を担っていると考えます。
私自身は、心理臨床実践、ロールシャッハ法を中心とした心理アセスメントの黎明期を牽引くださいました諸先生方に教育を受け、心理臨床実践において最も重要な「臨床のこころ」を涵養すべく活動をして参りました。今は、これからの指導者の皆様に、バトンを繋いでいく世代と認識しています。この繋ぐ責務を再認識し、当学会のさらなる発展のために、常任理事、理事をはじめ会員の先生方と、そして多くの心理臨床家の先生方と共に力を尽くしていきたいと思います。
第9期会長 髙橋靖恵(2021-2023年度)